【ユダヤ教】世界一優秀な民族はなぜ生まれたのか?

こんにちは。本宮 貴大です。

「世界で最も優秀な民族といわれているのは民族でしょうか?」

その答えは、ユダヤ人です。現在ユダヤ人は世界の人口のおよそ0.2%しか占めていません。しかし、ノーベル賞授賞者のおよそ20%はユダヤ人が占めています。

また、ユダヤ人の国であるイスラエルでは起業する人が非常に多く、年間1400社も新しい会社が生まれています。これは、人口あたり起業数でいうと、イギリス、フランス、ドイツよりもずっと高い水準です。

さらに、国立テクニオン・イスラエル工科大学は世界的にも有名で、「頭脳の塔」とも呼ばれています。

なぜユダヤ人は優秀な民族となりえたのでしょうか。ユダヤ人の歴史は、迫害と流浪の歴史でした。もともとは遊牧民ですが、多くの民族から迫害され、王国も破壊された後は、各地を流浪する生活を強いられていました。

しかし、いかなる民族から迫害され、土地や財産、自由などを奪われても、唯一奪えないものがありました。それは「脳」、すなわち「知恵」でした。そのため、ユダヤ人は「教育」というものに物凄い投資をする民族だったのです。その教育は、開始年齢も早く、通常は3歳からユダヤ教の教典である旧約聖書モーセ五書)とタルムードを読み始めます。つまり、幼児期から民族の歴史と、生活規範を身に着け、優秀な人間になるための下地をつくるのです。

また、ユダヤ人は、お金儲けが上手な民族であると言われています。定住する土地を持たなかったユダヤ人は、いかなる土地でも生活の糧を得られるように、商売やお金儲けの知識を身につけたのです。

つまり、ユダヤ人とは、戦いの民であり、移動の民でもあったゆえに、高い教育水準を保ってきたのです。

このような優秀な民族であるがゆえに、ユダヤ人は多くの民族から嫉妬され、迫害されてきました。古代エジプト王国、バビロニアギリシア帝国、ローマ帝国、十字軍、そしてナチス・ドイツ・・・。

それでも彼らは屈することなく、ユダヤ教の教えと信仰心を保ってきました。

ユダヤ教の教えには、選民思想や終末思想、救世主(メシア)思想があります。ユダヤ人は神によって選ばれた誇り高き民族であり、迫害を受けても、最後には救世主が現れ、ユダ人は繁栄する。そう信じていたからこそ、ユダヤ人はユダヤ教を捨てることはなかったのです。

 

金融資本主義が世界の主流となった現在、お金儲けのプロであるユダヤ人は、豊富な財力を持ち、アメリカなどで少数ながら、大きな影響力を持っています。それは過酷な歴史の中で築かれた彼らの財産ともいえるものでしょう。

【モーセ】ユダヤ教はなぜ成立したのか

こんにちは。本宮 貴大です。

ユダヤ教の特徴は、選民思想、律法主義、終末思想、救世主思想などがあります。今回は、そんなユダヤ教の成立過程をみていきながら、ユダヤ教の特徴についても解説していきたいと思います。

ユダヤ人が形成されたのは、紀元前2000年頃と言われています。ユダヤ人という名前は、ユダヤ教成立後に成立したもので、以前は、外国人からはヘブライ人と呼ばれ、自分達は自らをイスラエル人(神に勝る人)と呼んでいました。(以下、ユダヤ人のことをイスラエル人と呼ぶことにする。)

メソポタミア地域を中心に遊牧生活を送っていたイスラエル人は、前1500年頃にカナンの地(現在のパレスチナ)に住み着きました。

やがて、メソポタミア地域が飢餓に晒されるようになると、一部のイスラエル人はエジプトに移住しました。エジプトは農作物が豊富で、食べ物には困りませんでした。しかし、当時のエジプト国王(ファラオ)は勢力を拡大させるイスラエル人を疎ましく思い、イスラエル人に強制労働を課しました。

 

そんな中、紀元前13世紀頃に、エジプトで育ったユダヤ人のモーセが圧政に苦しむ同胞たちを救うため、自らをリーダーとしてイスラエル人をエジプトから脱出させました。シナイ山に到達したとき、モーセは神から守るべき10個の掟(十戒)を預かります。

「ここにイスラエル人の居住を許す。その代わり、十戒は厳守すること」

イスラエル人は、再びカナンの地に戻り、紀元前1025年にイスラエル王国を建設しました。イスラエル神殿も建設され、王国はダビデ王とソロモン王のときに全盛期を迎えました。しかし、王国が、北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分裂すると、アッシリア帝国新バビロニア王国によって滅ぼされてしまい、神殿も破壊されました。

新バビロニア国王のネブガドネザル2世は、ユダ王国の住民をバビロンに移住させ、そこで強制労働を課しました。強制移住させられたイスラエル人は11万人にも及んだとされています。

イスラエル人の中から、イザヤやエレミア、エゼキエルなどの預言者が現れ、彼らはイスラエル王国が滅んだのは、自分達が傲慢で律法を守らなかったからだと説きました。

こうした背景から、イスラエル人は、自分たちは神に選ばれた選民であるという自覚を芽生えさせました。これがユダヤ教のはじまりです。

選民とは、優秀な民族という意味ではなく、神の掟を守る高い義務を課された民族であるという意味です。イスラエル人は、世界を創造した唯一の神をヤハウェと呼ぶようになり、ヤハウェと契約を交わしました。それは、ヤハウェは律法を守れば民を救い、守られなかれかったら、容赦なく民を裁くというものでした。

バビロンに連れてこられたイスラエル人は、コミュニティの形成は許されていたため、圧政に苦しみながらも、信仰を守り、民族としての団結力を保ち続けることが出来ました。

 

50年後、バビロニアがアケメネス朝ペルシアに征服されると、イスラエル人は50年間にわたる強制労働から解放されました。アケメネス朝は、異民族や異教徒に対しては寛容な政策をとったため、以降、ユダヤ教は本格的にその体裁を整えていきます。ユダヤ人は自分達の苦難の歴史を聖書(旧約聖書)にまとめ、日常生活における厳しい戒律を定めたタルムードを編纂し、それらを教典としました。

その後、イスラエル人はギリシア帝国(セレウコス朝)の支配を経て、紀元前63年に、ローマ帝国ポンペイウスによって征服され、その属州となりました。

 

このようにユダヤ教の成立過程には、ユダヤ人の民族としての苦難の歴史がありました。ユダヤ教とは、流浪の民族であるユダヤ人の共同体としての意識を維持するために生まれた教えだったのです。

現在、ユダヤ教は、あまり普及しておらず、信者も多くありません。それはなぜでしょうか。まず、ユダヤ教には民族の救済は説かれていても、個人の救済が説かれていない点にあります。

たとえば、ユダヤ教を母体として生まれたキリスト教には、個人の救済が説かれています。現在、広く多くの民族に受け入れられている世界宗教には、個人の救済が説かれています。

また、ユダヤ教徒は熱心な布教活動もやりません。それにはやはり選民思想が関係しているでしょう。自分たちは神に選ばれた民族であるという誇りがあるため、ユダヤ教徒になるには、厳しい条件があります。一方で、キリスト教同様にユダヤ教を母体としてうまれたイスラム教は、熱心な布教活動や領土拡大を行ってきました。

つまり、ユダヤ教とは、宗教というよりも、ユダヤ人がユダヤ人であるためのアイデンティティを保つための厳しい決まりを定めたものであるといえるでしょう。

【荘子】自由に生きる方法とは?

こんにちは。本宮 貴大です。

「自由に生きる」

近年、かなり注目されている価値観です。

今回は中国の思想家である荘子の思想を見ていきながら、自由に生きる方法について考察してみたいと思います。

 

昔、荘子は夢をみました。それは自分が胡蝶になって自由に飛び回っている夢です。にわかに目が覚めた荘子は思いました。

「私が胡蝶になった夢を見ていたのか、それとも胡蝶が私になる夢を見ているのか」

今、私達は、人生という壮大な夢を見ているのかも知れない。そして死んだ後、全てが夢であったことを知るのではないか。

しかし、荘子が言いたかったのは、SF映画のような世界観ではなく、日常生活が真実で、夢の中はまぼろし、という固定化された常識を疑ってみよということです。

この常識を疑うことが自由に生きるための最初の一歩といえるのではないでしょうか。

 

私自身の話ですが、幼少期に世界地図を書くのが好きでした。

まず、大陸を描き、次に線を引いて国境をつくり、そして国別に色を塗って完成です。それを見て、私は思いました。

「でも、世界って、こんなにカラフルなはずはないよね。」

当然ですが、人工衛星から大陸を見ても、国境線は見えず、色分けもされていません。それらは一部の人間が勝手に決めたものであって、地球そのものは、みんなの共有財産です。

人間は、差別や色分けが大好きです。

富裕層と貧困層、高学歴と低学歴、正規社員と非正規社員、美しいと醜い、うまいとまずい、などなど・・・・。

これらは私達が当たり前のように使っている言葉ですが、全て人間が考えた価値観でしかありません。荘子は、こうした価値観は無意味でくだらないものだと指摘しました。

荘子は、この世にある全てのものに価値があるとしています。例えば「益虫」と「害虫」はどのような基準で決められているでしょうか。もちろん人間にとって有益か、害悪か、で決められています。しかし、本来そんなものはないのです。自然界に「害」などなく、全て価値あるものとして存在しているのです。

 

荘子は、このような人間が決めた価値観や常識を取り去らって物事を判断することが出来れば、自由に生きることが出来るとしました。逆にいうと、人間の価値観や常識に

偏差値の高い大学に入ることが幸せになれる。

大手企業に就職すれば幸せになれる。

公務員になれば安定した将来が約束される。

果たして本当にそうでしょうか。そうした常識も疑ってみる必要があります。

 

自ら其の適を適とする。(『荘子』大宗師篇)

これは、自分が心の底から快適だと思ったことが本当の快適さだ、という意味です。もちろん、みんなが決めた価値観に乗っかるほうが、色々と得することはあります。賞賛を得ることも出来るでしょう。

ですが、あなた自身は幸せでしょうか。

例えば公務員に就職できたとしても、残業続きで、心身ともに疲弊したり、人間関係で苦労したりするかもしれません。そうなれば、幸せと言えるのでしょうか。幸福とは、外から与えられるものではなく、本人の内側から湧き上がってくる感情なのです。

数十年後になって、自分の人生はこれで良かったのか、と後悔してしまうかもしれません。

 

尾を塗中に曳かん。(『荘子』秋水篇)

ある日、荘子が釣りをしていた時のことです。楚の国王から派遣された2人の家老が荘子を訪ねてきました。

「あなたは大変知恵ある者と聞いてやってきました。是非とも我が国の政治顧問となってくださいませんか。」

荘子は振り返ることもせず、質問しました。

「楚の国には、年齢3千年くらいの亀がいると聞いている。国王はその亀を家宝として大事に納めているそうだが、亀は甲羅だけにされて納められることを喜んだでしょうか、それとも、生きながらえて、尾を土の中に曳くこと望んだでしょうか。」

2人の家老は互いに目を合わせてから答えました。

「そりゃ、亀は土の中に帰ることを望んでいたことでしょう。」

これを聞いた荘子は答えました。

「お引き取り願います。私もその亀のように尾を土の中に帰って、自由に生きたいのです。」

私達は、国家や会社から与えられる地位や名誉、富などを優先するがゆえに、自分の感情を無視していないでしょうか。地位や名誉など人間の決めた価値観にこだわるほど、自由からは遠のいていきます。

もちろん、働くことは大事ですし、日々の生活の糧を得なければなりません。ですが、それはあなたの心が自由であってこそ、日々の業務や生活が安定するのではないでしょうか。

他人のための人生を送る必要はありません。自分のための人生を送ることを考えてください。それこそが自由に生きることなのです。

【老子】ストレス社会を生き抜くためには?

こんにちは。本宮 貴大です。

 

現代人も、ストレス社会を生きています。

学校や職場など、私たちはあらゆるところからプレッシャーをかけられています。もちろん社会生活を営むうえで、ある程度の責任は負うべきでしょう。だからこそ、過度なストレスや余計なストレスは感じたくないものです。

今回は老子の思想を見ていきますが、彼の教えは、そんなストレス社会を生きる現代人にとって非常に大事な教えとなりますので、

 

「自然のままに生きる」

これが老子の根本的な思想ですが、字面だけみると、自然の流れに身を任せて、惰性で生きるような感覚かと思われます。しかし、老子は決して手抜きをしろとか、怠惰で生きろとは述べていません。

老子が言いたかったのは、文明や人間社会が作り出した常識や価値観に縛られるほど、苦しい生き方になってしまうということです。

たとえば、仕事や勉強を頑張ることは大事なことです。しかし、頑張りすぎると、心身とも疲れ切って、怪我やうつ病の原因にもなります。うつ病になる人とは、気の弱い人ではなく、真面目に一生懸命頑張り過ぎた人なのです。それに対して周囲の人々は「甘えている」とか「根性が足りない」などと厳しい言葉を浴びせます。しかし、それこそまさに人間が作り出した常識であり、間違った価値観なのです。

文明社会には、そういった間違った考えや価値観がはびこっています。老子は文明の発展とともに、原理原則に立ち返ることを忘れてはならないと説いたのです。その原理原則こそ、自然のような生き方です。文明社会の常識とは、人間がつくりだした価値観ですが、それが必ずしも人間の生き方に合致しているとは限らない。それよりも自然のように一見、穏やかでゆっくりしているように見えるけれど、どこかエネルギーに満ちており、着実に物事を成し遂げていく生き方が大事なのです。

自動車はアクセルだけでは単なる暴走車です。ブレーキがあってこそ初めて便利な乗り物として成り立ちます。人間も常にアクセル全開で行動し続けていても、とても長続きはしません。適度にブレーキを踏むことで、長く力強く生きていくことが出来るとしました。

これは儒家の教えと正反対です。文明の発展を歓迎する儒家に対し、それによってストレス社会が生まれたと指摘した道家。学問や知識を増やすことを奨励した儒家に対し、知識を増やし過ぎたために憂いが生じてしまうとした道家

(もっとも孔子も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」として、頑張り過ぎることへの警鐘を鳴らしていますが。)

 

持して之を満たすは、其の已めんには如かず。(『老子』第九章)

老子は、コップに水が満杯なのは望ましくないとしました。少し振動しただけで中身がこぼれてしまい、とても安心出来る状況ではありません。これを人間社会に当てはめてみましょう。多くの財産を持つことは大事なことだけれど、それだと失った時のショックも大きく、その財産を狙って近寄ってくる人も増えることでしょう。老子は、適度に満たされている状態が理想的であるとしました。

 

 

老子は減らすことの大切さも説いています。数年前に「断捨離」がブームになりました。部屋の中に物がたくさんあることは豊かなことかもしれませんが、物が多すぎるとかえって思考が混乱し、良い仕事やアイディアは浮かんできません。それよりも物が少なくてシンプルな部屋だけど、すっきりとした気持ちで日常生活を送ることが大切なのではないでしょうか。

 

ここまでの老子の教えを見てきて、あることに気づきました。それは「足るを知る心」が大事だということです。老子は贅沢や虚飾は人を不幸にするといいます。私達は、学歴や資格など自分自身に足すことばかり考えます。また、地位やお金なども得ようと必死で努力します。しかし、それでは苦しいばかりか、思うような結果も得られません。それよりも、現在の生活に満足する知足の精神を持つことが人を幸福にするとします。

 

 

今回は老子の教えを見ていきましたが、彼の教えは現代でも十分に通用します。私達が生きる実社会では、「頑張ることの大切さ」や「所有することの大切さ」などが常識とされています。しかし、その常識に従えば従うほど、その人自身は不幸になっていきます。

だからこそ老子は、あえて「頑張らない大切さ」や「減らすことの大切さ」を教えてくれたのだと思います。老子は自然のような生き方のことを道(タオ)とあらわしました。それは喩えるなら、かつて人間が自然の一部として生活し、素朴だけれど、生き生きとした調和のとれた生活のようなものなのです。

【荀子】性悪説の本当の意味とは?

こんにちは。本宮 貴大です。

「人間の本性は、善か、悪か?」

この問いに対し、儒家の思想家である孟子荀子がそれぞれの立場で教えを展開していました。

今回は、その中の荀子の思想を解説していきながら、性悪説に迫ってみようと思います。

 

荀子が生きた時代は、戦国時代末期で、いよいよ中国全土が秦の始皇帝によって統一される直前であったとされています。

そんな新しい時代に求められたのは、平和と秩序でした。どのようにして平和で安定した国家秩序を維持するのか、それに応えたのが荀子でした。

まず、荀子は学問の重要性を説いており、人は学問的修養によって自らの道徳性を高めることが出来るとしました。

 

(青色は藍草からとれるが、藍よりも青い。水は氷から出来るが、氷よりも冷たい。)

この文は、人間は学問によって大きく成長し、その程度は師弟関係をも超えるほどであるとして、学問の大いなる可能性を強調しています。

こうした点では荀子も、孔子孟子と変わらず、異論なく儒家の思想家に含まれます。

しかし、荀子の思想の大きな特徴は、性悪説です。

人の性は悪なり。其の善なる者は偽なり。(『荀子』性悪篇)

この文章の字面だけみると、荀子は人の本性は悪だと決めつけ、その善なる心も‘偽物‘であるとして、人々を人間不信に陥れようとした人物なのかと思ってしまう。しかし、それは大きな間違いです。荀子は、人間はそのままでは悪なる存在へとなってしまう。しかし、人為的な、すなわち人の手による教育を施せば善なる存在へと変革することができるとしていました。

荀子の主張する悪とは、決して極悪非道な悪魔のようなイメージではありません。

荀子によると、生まれたばかりの人間は欲にまみれており、子供は親に泣いたり、喚いたりすることで自らの欲を満たそうとする。そしてその本質的な部分は、大人になっても変わらず、人間はあらゆる手段を使って欲を満たそうとし、その欲には限りがない。しかし、現実世界の資源には限りがある。やがて奪い合いを始める。社会全体が乱れる。

それを防ぐためには、後天的な教育によって、欲望を調節していく必要があります。そこで荀子が重要視したのが「礼」でした。「礼」とは、相手にへりくだって譲る気持ちを意味しますが、古代中国では長い歴史のなかで蓄積されてきた社会規範のひとつです。

孔子孟子も、「礼」を重視していますが、個人の内発的な心構えに頼っている側面があり、強制力がない。しかし、荀子の「礼」は、外面的な礼儀作法を徹底して教え込むという点で、明らかな強制力があります。

「形から入る」という言葉もありますが、人は外側からの強制力に縛られなければ、心の乱れや迷いを断ち切ることは出来ません。しっかりとした服装をしていれば、何となく心もシャキッとするものです。荀子は、まず外側の形を整えることで、徐々に内面的な「礼」の精神も完成すると考えました。

このように荀子は、人間には学問による自己成長だけでなく、「礼」による自己規制も必要であると説いたのです。

 

【ゾロアスター教】なぜ最初の世界宗教となれたのか

こんにちは。本宮 貴大です。

 ゾロアスター教は、世界宗教の中では最も古い歴史を持っているとされています。世界宗教とは、国や地域を超えて、多くの人に広く信仰されている宗教のことですが、その元祖となったのがゾロアスター教です。なので、後に誕生するユダヤ教キリスト教イスラームなどの世界宗教に強い影響を与えています。

 

 なぜゾロアスター教は最初の世界宗教になれたのでしょうか。

 ゾロアスター教の特徴の1つに善悪二元論というのがあります。この二元論の世界観は非常にわかりやすいです。二元論とは、いわゆる「2つが1つ」というモデルで、2つの勢力が1つの世界に存在し、互いに争っている状態のことを指します。ゾロアスター教では、この世界は善神アフラ・マズダと、邪悪な神々の2大勢力が戦う場所であるとしており、人間は善神の側について戦うことが義務づけられている。

 これが例えば「3つが1つ」の場合はどうなったでしょうか。三つ巴の状態だと、決着が着きにくいし、人間はどの勢力に味方すればよいのかわからない。結局は、3つの勢力のうちの2つの勢力が手を組んで戦うという二元論の世界になってしまうのではないでしょうか。人間の認識能力は意外と低く、対象が3つ以上になると、途端にわかりにくくなってしまうのではないでしょうか。

 一方で、キリスト教には三位一体説がありますが、これは「1つが3つ」であり、もともとは一つの対象物であったものを3つの存在に分類しているだけなので、そうでもない。

 また、マトリックス法は「1つが4つ」であることをわかりやすく説明する方法で、2つの異なった対立概念を縦軸と横軸に分けており、結局は二元論が‘大もと‘になっているのです。

 

 また、ゾロアスター教の二元論は善神と悪神を、光と闇、または生命と死の象徴として概念化している。これもわかりやすい。「闇」があるから「光」の有難さが分かるのであり、親しい人の「死」を目の当たりにすることで、「生きる」ということを再考することが出来る。善神アフラ・マズダは光の神であり、この世界を天空・水・大地・植物・動物・人・火の順で創られた創造神でもあります。対する悪の神々は、闇の住人達で、この世界に災いをもたらし、全ての生物を死に追いやってしまう。

 

 ゾロアスター教は他にも終末思想と救世主思想があります。これも強い求心力を持っています。終末思想というのは、とにかく流行るのです。特に災害や疫病が頻発し、犯〇や汚職などの政治的な混乱が生じている時代には。現代でも、ノストラダムスの大予言とか、直近ではマヤ文明の暦が2012年12月で終わっているとして、世界の終わりが騒がれましたけど。

 現代でさえ大きな注目を集めたのだから、当時のような宗教が世界を支配しているような時代では、人々は盲目的に信じてしまったことでしょう。

 ゾロアスター教では、善意・善語・善行の3つ徳を積んでいけば、世界の終わりに救世主が現れて、善神が勝つとされています。そのとき、人々には最後の審判が下り、天国か地獄のどちらかへ行くとされた。

 このようにゾロアスター教の思想は、後世の宗教に強い影響を及ぼしていることがわかります。

 

 そして、ゾロアスター教アフラ・マズダ唯一神とした一神教でもあります。多神教が主流だった当時で、なぜゾロアスター教一神教として誕生したのでしょう。

 それはユーラシア大陸地政学的な情勢が関係していると思います。現在もそうですが、ユーラシア大陸には様々な民族が住んでおり、同時に砂漠や高山など厳しい環境も広く存在しています。日本のような単一民族が豊かな自然環境に恵まれて生活しているのとはわけが違う。

 そんな状況の中で、都市化が進み、人口が増えてくると、やがて肥沃な土地の奪い合いが始まります。そんなときは、1つの神を信仰させることで、出来るだけ多くの民族を団結させる方が良いに決まっています。そして、争いに負けた場合は、他の豊かな土地を求めて移動するわけですが、一神教であれば、その団結力が弱まることは少ない。

 このように一神教は、戦う民族や移動の民族が生み出した特有の宗教です。彼らは多神教の世界のような山や川、野原や森などの自然を信仰の対象とはせず、太陽や月などの唯一のものを信仰のシンボルとしているのも、そのためではないでしょうか。ゾロアスター教はそんな時代の変化によって誕生した宗教だったのではないでしょうか。

【孟子】性善説の根拠とは?

こんにちは。本宮 貴大です。

「人間の本性は、善か、悪か?」

あなたはどちらだと思いますか?

これは言い換えると、「人間に道徳教育は必要か否か」という問いにもなるでしょう。これを知ることで、今後の人材育成や自己成長に役立ち、さらには人間の本質にも迫ることが出来るでしょう。

この問いに対し、儒家の思想家である孟子荀子がそれぞれの立場で教えを展開していました。

今回は、そんな孟子の思想を見ていきながら、性善説について考えてみようと思います。

「人に忍びざるの心」

これは孟子の言葉ですが、彼は、人間は生まれながらに善なる心を持っているとする性善説を支持しました。孟子によると、人間は学ばなくても出来る能力(良能)、思慮しなくても知れる能力(良知)を持っており、それらは後天的に身につけるものではなく、生まれつき備わっている先天的道徳心だとしました。

 

孟子は、人間の善なる心は「天」より与えられたものであるとしました。「天」というのは、宇宙の原理や支配者のことをいい、西洋でいう「神」のようなものです。

其の性を知れば、則ち天を知るべし。

人間は自己の本性を省みることで、「天」の声を聞くことが出来るという意味です。「反省」という言葉は、孔子やその弟子たちも使っていた言葉ですが、孟子はもっと強い意味を持たせていました。孟子は、「反省」とは、「天」の声を聞く神聖な行為であるとしました。

行いて得ざる者あれば、皆諸を己に反求す。

例えば、何かの競争に負けたとき、自分に勝った相手を憎むのではなく、自分に欠点があったのではないかと考えてみる。何か思い通りにいかなかったとしても、その原因は自分にあるのではないかと反省してみる。すると、「天」の声があなたを導き、高い道徳心を持った理想的な人物(大丈夫)に一歩近づくことが出来るというのです。

 

誠は、天の道なり。

孟子は、天の道は誠(まごころ)であるとしました。天に裏付けされた「誠」で他者に尽くせば、他者はあなたに感動し、やがて「誠」で返してくれることだろう。「誠」は他者にも伝染していくのです。そんな「誠」の存在を人々が自覚し、互いに実践していけば、中国は「誠」のエネルギーで満ち溢れ、天に近い国になるであろう。孟子はそれを浩然の気(天地に充満する強い気)とし、孟子は、中国の統一を、人々が自ら発揮する道徳心によって実現しようとしたのです。

このように孟子性善説は、天を根拠としたものであり、天によって保証された心であるとしました。

 

では、そんな「天」によって与えられた善なる心とは、どのようなものなのでしょうか。孟子は、人間は生まれながらに四端という4つの心を持っているとした。端というつくりには、芽生えたばかりの植物の意味が込められています。

1つ目は、他者の不幸や悲劇に同情する心(惻隠の心)。2つ目は、不善を恥じ、悪を憎む心(羞悪の心)。3つ目は、へりくだって譲る気持ち(辞譲の心)。そして4つ目は、善悪の判断基準を持つ心(是非の心)です。これらを育てていくと、それぞれ「仁」、「義」、「礼」、「智」という4つの徳が完成し、大丈夫への道が開かれるとしました。

 

では、なぜ人間の中に盗みや不正などの悪行をする者が現れるのだろうか。彼らは反省というものをしていないのだろうか。孟子によると、「人間の心は普段、欲や感情に覆われており、自らに宿っている道徳心を見失っているのだ。」としました。さらに孟子は「豚や鶏が逃げ出せば、皆必死になって探そうとするのに、見失った自らの道徳心は探そうともしない。」とその世相を嘆きました。

ならば、法律や刑罰によって人々を厳しく取り締まればよいだろうと考える方もいるかもしれません。しかし、孟子は法律や刑罰だけでは根本的な解決にはならないとしました。これは孔子も同様のことを言っています。たとえ法律で禁止したとしても、必ずそれをかいくぐろうとする者が現れる。そうなると、誰も他人を信用出来なくなり、社会はかえって混乱する。

それよりも、人々が能動的に善を実践していくように教えを説き続け、見失った道徳心に目覚めてもらうことで、お互いを信頼出来る秩序ある国が実現するのだとしました。

 

今回は孟子の思想を見ていきましたが、反省という行為は、私達の良心によって行われることではないでしょうか。孟子は、「反省」という行為を「天」の声を聞く行為だとしましたが、「良心の呵責」という言葉もあるように、私達は悪行をした後に罪悪感を得ることがあります。それは「天」が私達に自己を省みるように訴え、その行動を改めさせようとしているのではないでしょうか。

こういうと、スピリチュアルな話に聞こえますが、孟子は「反省」を「天」の声を聞く神秘的な行為とすることで、人々に天の恵み、すなわち希望の光を与えたかったのかもしれません。